忠治の家族
国定忠治の周りの人たち.4
国定忠治は文化7年(1810)、上野国佐位郡国定村(群馬県伊勢崎市国定町)に生まれました。
父親は長岡与五左衛門(1784-1819)、母親(1792-1845)は間野谷村の金田助五郎の娘でした。
本名は長岡忠次郎で、忠治というのは俗称です。本来なら、忠次と書くべきなのですが、忠治の方が一般的になってしまったようです。忠次本人は、そんな事ア、どっちでもいいやな、と言いそうですが。
祖父は権太夫といい、忠治が7歳の時に亡くなっています。祖母は忠治が生まれた時にはすでに亡くなっていました。
二つ年上の兄がいたようですが、幼くして亡くなり、四つ下に弟の友蔵(1816-1889)がいます。
忠治が生まれた長岡家は名主を務めた事もある家柄で、八反屋敷と呼ばれる広い敷地を持つ裕福な農家でした。
父親は赤堀村の本間仙五郎の道場で念流の剣術を習い、なかなかの腕だったようです。仙五郎の倅の千五郎と同い年で、兄弟弟子の間柄です。後に、忠治は千五郎から剣術を習います。
父親がもう少し長生きしていたら、忠治の生き方も違っていたでしょうが、父親は忠治が10歳(数え年)の時、36歳の若さで亡くなってしまいました。残された母親は二人の子供を抱えて苦労した事だろうと思います。
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