2010年1月 2日 (土)

謹賀新年

大衆文学復刻版

明けまして、おめでとうごぜえやす。

月日の経つのは速えもんで、2010年になっちめえやした。

あっしが生まれた文化7年(1810年)からちょうど200年になりやした。

200年といやあ長え年月が経っちまったなあ。

ちったあ世の中は良くなったんだんべえか。

あまり良くなったようには思えねえが、今年がいい年になるように祈っておりやすよ。

話は変わりやすが、50年前の正月映画に「任侠中仙道」ってえのがありやした。あっしが出て来る映画なんでさあ。

その年の三月には三船敏郎さんがあっしを演じた「国定忠治」ってえ映画もありやした。加東大介さんが日光の円蔵を演じて、丹波哲郎 さんが三木の文蔵、夏木陽介さんが板割の浅太郎を演じてくれやした。

最近はあっしの映画はできませんねえ。見てみてえと思いやすが無理だんべえかねえ。

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2009年4月19日 (日)

木枯し紋次郎

木枯し紋次郎
木枯し紋次郎はあっしと同じ上州生まれで、同じ時代を生きた渡世人でござんす。

あっしは出会った事アねえが、噂だけは聞いた事がありやした。年中、楊枝をくわえていて、口数は少ねえが、めっぽう腕の立つ野郎だと聞いておりやす。

1970年代にテレビドラマや映画になって、大層、人気があったようでござんすねえ。テレビでは中村敦夫さんが、映画では菅原文太さんが紋次郎を演じやした。そういやア、岩城滉一さんがやったのもありやしたねえ。

そして、2009年に久し振りに、紋次郎がテレビで放映される事になりやした。江口洋介さんが紋次郎を演じるようでござんす。楽しみにしておりやすぜ。

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2009年1月 9日 (金)

新年、おめでとうごぜえやす

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あっという間に一年が過ぎちまって、2009年になりやした。

2009年といやア、あっしが生きていたら、数え年で200歳って事にならア。

まったく、考えられねえ事だぜ。随分と変わっちまったんべえなア。

俺んちはまだあるんだんべえか。国定一家はどうなっちまったんだんべ。

お上のお偉いさんたちは相変わらず、弱え庶民たちをいじめてるんだんべえか。

飢饉とか天災とかは起きてねえだんべえな。

関所なんてくだらねえもんはもうなくなってる事を願うぜ。

2009年がいい年になるように、陰ながら祈っておりやす。

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2008年12月 3日 (水)

観音のお紺と羽衣のお藤

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国定忠治の無頼日記65   天保6年(1835)7月~26歳

境宿の賭場を見回ったら、新しい女壷振りが2人もいて、ほんとにたまげたぜ。

大黒屋には羽衣のお藤がいて、佐野屋には観音のお紺がいたんだ。

羽衣のお藤はおりん姉さんが仕込んだ娘で、おりんさんが田部井(ためがい)村で壷を振っていた頃、おりんさんの真似をしていた娘の1人で、おりんさんに何度も断られても諦めねえで弟子になったんだそうだ。どことなく冷てえ感じのする、ほっそりとした美人で、それがまた賭場の雰囲気にぴったりなんさ。絶対に笑ったりなんかしねえもんで、物知りの旦那が「羽衣」ってえ能に出てくる天女にそっくりだと言ったことから、羽衣のお藤って呼ばれるようになったんさ。

観音のお紺は水沢観音で有名な水沢村から出てきたんで、観音のお紺と呼ばれているそうだ。お藤とは対照的にいつも微笑している可愛い女さ。お紺は4年前に父親と一緒に境の絹市に来て、おりん姉さんとお辰の噂を聞いて、父親と一緒に伊勢屋の賭場に入ったんだ。壷を振るお辰に憧れて、壷振りになりたいと父親に言うと父親は大賛成して、すぐに大久保一家で壷を振っていたという爺さんを連れて来て、お紺に仕込ませたんだ。お紺は爺さんと一緒に賭場を渡り歩いて修行を積んで、去年の末に百々村にやって来た。おりん姉さんの目にかなって、百々一家に入ったんさ。

伊勢屋の吉祥天のお辰、佐野屋の観音のお紺、大黒屋の羽衣のお藤、3人ともいい女で、どこの賭場も賑わっていたぜ。

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2008年11月 5日 (水)

お町の奴、怒りやがったが可愛い奴よ

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国定忠治の無頼日記64   天保6年(1835)7月~26歳

ひとっ風呂浴びて旅の垢を流して、さっぱりした後、軍師から今の状況を聞いて、御隠居(紋次)に挨拶をして、それから国定村に帰ったんさ。

先にお町に会うか、お鶴に会うか迷ったけどな、やっぱり筋道は通さなけりゃ、子分どもに示しがつかねえって思って、本妻のお鶴の方を先にしたのよ。

お袋もお鶴も元気そうだったぜ。秋の養蚕が始まって、忙しそうに働いていたよ。その夜はお鶴をたっぷりと可愛がって、次の日、お町んちに行ったんさ。

お町の奴、「一晩中、待ってたのに、何よ」って、すげえ顔して怒りやがった。箒を振り回して追い立てやがるんで、仕方なく、嘉藤太んちに逃げたんさ。

旅の話を聞かせた後、嘉藤太が頼みがあるって言ったんさ。何かと思ったら、一家の名前を百々一家から国定一家に変えてくれって言うんだ。国定村のみんなも、おらが村の親分が百々村にいたんじゃ面白くねえ。こっちで一家を構えてくれってな。

それも悪かアねえたア思うが、御隠居もいる事だし、すぐには無理だんべえが、そのうち考えるって俺は答えて、ちっと一眠りしたら、もう夕方になっていやがった。

お町んちに行って、まだ怒ってるかと様子を探ったら、お町の奴、縁側でしょんぼりしていやがった。俺が声を掛けたら、顔をふくらませたけど、にっこり笑って「お帰りなさい」って言ったよ。

まったく可愛い奴よ。酒を飲みながら、お町に旅の話を聞かせて、勿論、野沢のお篠の事は隠したけどな、のんびりと過ごして旅の疲れを取ったんさ。

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2008年10月 2日 (木)

一年振りに百々村に帰って来たぜ

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国定忠治の無頼日記63   天保6年(1835)7月~26歳

一年が過ぎて、やっと故郷に帰って来られたぜ。

下総の方に逃げてった富五郎たちも去年のうちに帰っていたようだ。うめえ具合に境宿が手に入って、人手が足らなくなって軍師が呼び戻したんだそうだ。

俺たちが伊三郎を殺して国超えした後、留守を守っていた軍師たちは殴り込みに備えて、待ち構えていたんだけどよ、いつになっても殴り込みには来なかったらしい。

伊三郎がいなくなった島村一家は仇を討つどころじゃなくて、跡目争いを始めやがったようだ。本家の彦六と代貸の林蔵が争い始めて、林蔵は殺され、平塚の留五郎も殺された。仲裁に入った世良田の弥七も殺されちまったという。

弥七の跡を継いだ茂吉の野郎が伊三郎を殺した百々一家に助けを求めて来るってえ、奇妙な事になったらしい。軍師は助けを求めている者を追い返すわけにも行かず、子分たちを引き連れて世良田に向かったそうだ。

彦六は裏切り者の茂吉を殺そうと代貸たちに声を掛けたが、以前から彦六のやり方に反感を持っていた代貸たちは島村一家から抜けて独立すると言ったそうだ。

島村一家は分裂して小せえ一家がいっぺえできて、それぞれが百々一家と張り合うほどの力もなく、境宿から出てったんだそうだ。軍師は桐屋と大黒屋の賭場を取り戻して、境宿は以前のごとく、百々一家の縄張りになったんさ。

まったく信じられねえ事だがよう、留守にしていた間に百々一家はでっかくなっちまって、知らねえ子分どもが何人もいやがった。

俺と文蔵が顔を出したら、殴り込みかと勘違えした勇ましい野郎もいたぜ。

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2008年9月 4日 (木)

野沢の湯で夫婦気取り

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国定忠治の無頼日記62   天保5年(1834)8月~25歳

信州の野沢の湯にはおよそ一年も隠れていたんさ。

こいつア、お町にゃア、絶対に内緒なんだけどよ、お篠ってえ別嬪と出会ってな、ずっと一緒だったんさ。

お篠は宿屋をやってる後家でな、俺たちがその宿屋に泊まった時、中野の博奕打ちで原七って野郎がお篠をものにしようって、のこのこやって来やがった。

お篠が嫌がったんで、俺たちでちょっと痛え目に遭わせてやったんさ。そしたら、その夜、原七は子分どもを引き連れて威勢よく仕返しに来やがった。またもや、痛え目に遭わせて追い返したってわけよ。

それが縁でな、お篠の奴も俺を頼りにしてくれたってわけさ。後家っていったって、まだ21歳の俺好みの女だったんさ。お町には内緒で、お篠と夫婦気取りで暮らしていたのさ。

9月になって、一緒にいた民五郎と浅次郎は上州に帰ったんさ。幸い、手配されたのは俺と文蔵の2人だけだったんだ。軍師からの知らせを持って赤堀の相吉が来て、奴と一緒に帰って行ったよ。

文蔵もこんな山ん中は面白くねえから早く帰りてえって、文句ばかり言ってたんだけどな、旅芸人のお滝に出会ってからは必死になって口説いていたよ。

お滝は体調を崩して湯治に来て、文蔵に見初められちまったのさ。文蔵のしつこさに負けたのか、文蔵とお滝もいい仲になって、夫婦気取りで暮らしていたのよ。

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2008年8月 8日 (金)

信州で政五郎親分と再会したんさ

善光寺と宿坊の精進料理

国定忠治の無頼日記61   天保5年(1834)7月~25歳

大戸の関所を無事に通って、須賀尾峠を越えて、その日は大笹の寅五郎親分とこに世話になって、それから車坂峠を超えて信州に出たんさ。

松本に軍師の兄弟分の勝太親分がいてな、しばらくはそこで、のんびりしてろって言われたんだけどよ、あんまり居心地はよくなかったぜ。

軍師の手紙を見せたんだけど、俺の事なんか全然知らねえし、一応は客人扱いはしてくれたんだけどよ、さっさと出てってくれってな顔付きなんさ。たまたま一緒になった旅人から、善光寺の門前の権堂村に合の川の政五郎親分がいるって噂を聞いてな、そっちに行く事にしたんさ。

政五郎親分にゃア越後に行った時、文蔵と一緒に世話になってな、上州生まれの貫禄のある立派な親分さんだぜ。親分は権堂村で「上総屋」ってえ旅籠屋をやっててな、なぜか、源七って名前を変えていた。親分は俺たちの事を覚えていてくれてな、歓迎してくれたんさ。

そこにしばらく厄介になるつもりだったんだけどよ、そうは行かなくなっちまった。中野の代官所に手配書が回ってな、仕方なく、山ん中の野沢の湯ってえ湯治場に隠れる事になったんさ。

源七親分の子分の茅場の長兵衛ってえのが案内してくれてな、その後、ずうっと一緒にいたんだ。いい奴でな、兄弟分になったんさ。

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2008年7月15日 (火)

加部安の旦那は大した男だぜ

江戸女刑罰史〜女郎雲〜(ソフトデザイン版)(DVD) ◆20%OFF!

国定忠治の無頼日記60   天保5年(1834)7月3日~25歳

叔父御の八寸村の七兵衛のうちから旅立った俺たちはまず、吾妻郡の大戸の加部安(かべやす)の旦那んちに行ったんさ。

加部安ってなア、上州一の分限者って言われてる金持ちの旦那さ。

何年か前に、玉村宿の女郎屋で会ってな、意気投合したんさ。玉村一の女郎屋、玉斎楼に上がって、俺は玉村一の女郎、白菊を呼んだんさ。ところが、白菊はいつになってもなかなか来ねえ。俺ア頭に来て、白菊がいるってえ座敷に乗り込んだんさ。そこにいたのが加部安たったってえわけよ。

加部安の旦那は俺たちを恐れるわけでもなく、「俺が来るのを待っていた」と抜かしやがった。

「噂には聞いているが、渡世が違うんで、なかなか会う事ができねえ。これを期に近づきになってくんねえか」って言って、女郎衆を全員呼び集め、主人の幸兵衛まで呼んで大騒ぎしたんさ。その豪快な遊び方にゃア、俺もぶったまげたぜ。

いつか、遊びに来いって言われてたんで、ちょっと寄ってみたんだけどよ、大層な歓迎振りだったぜ。

加部安が造ってる「牡丹」てえ、うめえ酒を飲んで、うめえもんを食って、おまけに大戸の関所も簡単に通れたってわけよ。

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2008年6月17日 (火)

しばらく、上州とおさらばさ

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国定忠治の無頼日記59   天保5年(1834)7月3日~25歳

伊三郎を殺した後、俺たちゃ叔父御の八寸(はちす)村の七兵衛のうちに行ったんさ。

伊三郎を殺して来たって言ったら、七兵衛は目を丸くして、ぶったまげていたよ。

まあ、驚くのも当然の話さ。たった今、殺して来た俺たちだって、本当にあの伊三郎がくたばっちまったのかって信じられねえ思いだったんさ。あまりにもうまく行きすぎたからな。

伊三郎の子分どもが百々村に殴り込みをかけて来やがったら助けてやってくれって頼んで、俺たちゃ夜明け前に旅立ったんさ。

8人が一緒になって、ぞろぞろ行ったら目立ちすぎるんで、二手に分かれる事にしたんさ。

富五郎、友五郎、新十郎、才市の4人は行商人に扮して、友五郎の故郷の下総(千葉県)に向かったよ。

俺と文蔵、民五郎、浅次郎の4人はお伊勢参りに行く糸繭商人に扮して信州に向かったんさ。俺が若旦那で、文蔵が番頭で、民五郎と浅次郎は手代ってえわけさ。

いつ帰って来られるかわからねえ不安はあったけど、とくかく、今は一刻も早く遠くに逃げなくちゃならねえ。留守を守っている軍師たちの無事を祈りながら、俺たちゃア上州としばらく、おさらばしたのよ。

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