くそったれ野郎、許しちゃおけねえ
国定忠治の無頼日記67 天保6年(1835)7月~26歳
玉村宿に京蔵と主馬ってえ兄弟の博奕打ちがいるんだが、この野郎が調子に乗りやがって、あっしの子分の民五郎を滅多打ちにしやがった。
「くそったれ野郎、許しちゃおけねえ」って、俺アすぐに殴り込みをかけべえと思ったんだが、軍師に止められたよ。
玉村には十手を持った佐重郎親分がいる。俺が出張って行ったら、佐重郎親分を敵に回しちまう。あんな小物を相手に俺が騒ぐ事もねえって言うんだ。
軍師の言う事はもっともなんで、俺はじっと我慢して、民五郎の傷が治ったら甲斐新と角次郎をつけて送り込む事にしたんさ。佐重郎親分にゃ色々と世話になってるからな、敵に回したかアねえもんな。
十日後、民五郎の傷が治って、甲斐新と角次郎を連れて玉村に向かったよ。三人は弟の主馬を滅多斬りにして、甲州に旅立ったんさ。兄貴の京蔵は俺を恐れてどっかに逃げちまったようだ。
これで俺にたて突くふざけた野郎は出て来ねえだんべ。
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