一年振りに百々村に帰って来たぜ
国定忠治の無頼日記63 天保6年(1835)7月~26歳
一年が過ぎて、やっと故郷に帰って来られたぜ。
下総の方に逃げてった富五郎たちも去年のうちに帰っていたようだ。うめえ具合に境宿が手に入って、人手が足らなくなって軍師が呼び戻したんだそうだ。
俺たちが伊三郎を殺して国超えした後、留守を守っていた軍師たちは殴り込みに備えて、待ち構えていたんだけどよ、いつになっても殴り込みには来なかったらしい。
伊三郎がいなくなった島村一家は仇を討つどころじゃなくて、跡目争いを始めやがったようだ。本家の彦六と代貸の林蔵が争い始めて、林蔵は殺され、平塚の留五郎も殺された。仲裁に入った世良田の弥七も殺されちまったという。
弥七の跡を継いだ茂吉の野郎が伊三郎を殺した百々一家に助けを求めて来るってえ、奇妙な事になったらしい。軍師は助けを求めている者を追い返すわけにも行かず、子分たちを引き連れて世良田に向かったそうだ。
彦六は裏切り者の茂吉を殺そうと代貸たちに声を掛けたが、以前から彦六のやり方に反感を持っていた代貸たちは島村一家から抜けて独立すると言ったそうだ。
島村一家は分裂して小せえ一家がいっぺえできて、それぞれが百々一家と張り合うほどの力もなく、境宿から出てったんだそうだ。軍師は桐屋と大黒屋の賭場を取り戻して、境宿は以前のごとく、百々一家の縄張りになったんさ。
まったく信じられねえ事だがよう、留守にしていた間に百々一家はでっかくなっちまって、知らねえ子分どもが何人もいやがった。
俺と文蔵が顔を出したら、殴り込みかと勘違えした勇ましい野郎もいたぜ。
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