野沢の湯で夫婦気取り
国定忠治の無頼日記62 天保5年(1834)8月~25歳
信州の野沢の湯にはおよそ一年も隠れていたんさ。
こいつア、お町にゃア、絶対に内緒なんだけどよ、お篠ってえ別嬪と出会ってな、ずっと一緒だったんさ。
お篠は宿屋をやってる後家でな、俺たちがその宿屋に泊まった時、中野の博奕打ちで原七って野郎がお篠をものにしようって、のこのこやって来やがった。
お篠が嫌がったんで、俺たちでちょっと痛え目に遭わせてやったんさ。そしたら、その夜、原七は子分どもを引き連れて威勢よく仕返しに来やがった。またもや、痛え目に遭わせて追い返したってわけよ。
それが縁でな、お篠の奴も俺を頼りにしてくれたってわけさ。後家っていったって、まだ21歳の俺好みの女だったんさ。お町には内緒で、お篠と夫婦気取りで暮らしていたのさ。
9月になって、一緒にいた民五郎と浅次郎は上州に帰ったんさ。幸い、手配されたのは俺と文蔵の2人だけだったんだ。軍師からの知らせを持って赤堀の相吉が来て、奴と一緒に帰って行ったよ。
文蔵もこんな山ん中は面白くねえから早く帰りてえって、文句ばかり言ってたんだけどな、旅芸人のお滝に出会ってからは必死になって口説いていたよ。
お滝は体調を崩して湯治に来て、文蔵に見初められちまったのさ。文蔵のしつこさに負けたのか、文蔵とお滝もいい仲になって、夫婦気取りで暮らしていたのよ。
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