信州で政五郎親分と再会したんさ
国定忠治の無頼日記61 天保5年(1834)7月~25歳
大戸の関所を無事に通って、須賀尾峠を越えて、その日は大笹の寅五郎親分とこに世話になって、それから車坂峠を超えて信州に出たんさ。
松本に軍師の兄弟分の勝太親分がいてな、しばらくはそこで、のんびりしてろって言われたんだけどよ、あんまり居心地はよくなかったぜ。
軍師の手紙を見せたんだけど、俺の事なんか全然知らねえし、一応は客人扱いはしてくれたんだけどよ、さっさと出てってくれってな顔付きなんさ。たまたま一緒になった旅人から、善光寺の門前の権堂村に合の川の政五郎親分がいるって噂を聞いてな、そっちに行く事にしたんさ。
政五郎親分にゃア越後に行った時、文蔵と一緒に世話になってな、上州生まれの貫禄のある立派な親分さんだぜ。親分は権堂村で「上総屋」ってえ旅籠屋をやっててな、なぜか、源七って名前を変えていた。親分は俺たちの事を覚えていてくれてな、歓迎してくれたんさ。
そこにしばらく厄介になるつもりだったんだけどよ、そうは行かなくなっちまった。中野の代官所に手配書が回ってな、仕方なく、山ん中の野沢の湯ってえ湯治場に隠れる事になったんさ。
源七親分の子分の茅場の長兵衛ってえのが案内してくれてな、その後、ずうっと一緒にいたんだ。いい奴でな、兄弟分になったんさ。
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