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2007年6月17日 (日)

栄五郎親分は大した貫禄だア

江戸やくざ列伝    江戸やくざ列伝

国定忠治の無頼日記49   天保4年(1833)7月~24歳

国定村の赤城神社の祭りが終わった頃だった。大前田の栄五郎親分がひょっこりと百々村に顔を出してくれたんさ。

6年振りの再会よ。わざわざ訪ねてくれるなんて、うれしかったねえ。

栄五郎親分は久宮一家と和解して、上州に帰れるようになったって言っていた。大前田には親分の兄さんが一家を張っているんで帰らねえらしいが、大胡あたりに落ち着くらしい。栄五郎親分が近くにいてくれりゃア、ほんとに心強えぜ。

栄五郎親分は、赤城山のてっぺんに関八州の親分衆を集めて大博奕をやってみねえかって、俺に言いやがった。そんな事ができりゃア、ほんとに面白えんだが、今の俺じゃア、まだまだ無理だアな。もっと、男を売らなきゃならねえ。いつか、きっと、やってみせるって、親分と約束したんさ。

栄五郎親分は伊勢屋の賭場で遊んでったんだけど、気持ちいいくれえの負けっぷりだったぜ。

「いいか、忠治、堅気の衆と勝負する時は、決して勝っちゃあいけねえよ」って言ったんさ。「俺たちゃア堅気の衆におマンマを食わせてもらってる身だ。おめえも旅先で賭場に出入りする事もあるだんべえが、親分と呼ばれる者が旅先の賭場で稼ごうなんて料簡を起こしちゃアいけねえ。旅先の賭場で気前よく負けてこそ、親分の貫禄ってえもんだ。覚えておけ」

成程なアって俺ア感心したんさ。親分の言った事を肝に銘じて、立派な親分にならなくちゃアならねえって思ったねえ。

それにしても、栄五郎親分はすげえ貫禄だったぜ。

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