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2006年7月24日 (月)

大前田栄五郎

国定忠治の周りの人たち.2

本名は田島栄五郎です。一般に大前田村の栄五郎で通っていますが、大前田一家の親分ではありません。大前田一家は兄の要吉が継いでいたので、栄五郎は旅で男を売って名を上げました。名古屋から伊豆にかけて東海地方に縄張りを持っていたようです。

15歳の時、兄弟分の月田村の栄次郎と一緒に三下奴を斬って、最初の旅に出ます。その時は2年程で故郷に戻れたようです。

25歳の時、月田村の栄次郎と武井村の和太郎の三人で、東上州の大親分と言われた久宮(くぐう)一家の丈八を殺します。この時は指名手配になってしまい、故郷に近づく事は難しくなってしまいます。栄五郎は美濃へ、栄次郎は甲州へ、和太郎は日光へと、バラバラになって逃げ、各地の親分さんを訪ねての長い旅が始まったのです。

30歳の頃は名古屋に落ち着いていたようですが、32歳の時、江戸に出て、無宿狩りに遭って捕まってしまいます。牢屋に入れられ、その後、佐渡ヶ島に送られます。佐渡の金山の金掘り人足をさせられたのです。

佐渡送りにされたら、二度と生きては戻れないと言われていましたが、栄五郎は見事に島抜けに成功します。佐渡ヶ島には一年位いたようです。

島抜けの後、武州の藤久保に隠れていた時、国定忠治が無宿人を殺して頼って行きます。その頃には、栄五郎の名は博奕打ちの世界では有名になっていて、あちこちに呼ばれては喧嘩の仲裁役を買って出ていました。

41歳の時、兄弟分の栄次郎の仲介で久宮一家との和解が成立して、ようやく、故郷に戻れるようになりました。

明治7年、82歳で亡くなるまで、大親分として各地の親分さんたちから畏敬の目でみられ、仲裁役として活躍していました。

「大前田栄五郎の生涯」より     大前田栄五郎の略歴

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2006年7月14日 (金)

お町の奴、アネサンて呼ばれて、上機嫌よ

姐御 あねご

国定忠治の無頼日記37   文政13年(1830)10月~21歳


嘉藤太んちで暮らしていたお町なんだけどな、嘉藤太んちで賭場が開かれるようになってから居場所がなくなっちまって、近くに空き家があったんで、そっちに移る事になったんさ。

お町の奴、子分たちから、アネサン、アネサンて呼ばれて、結構、いい気分でいるみてえだぜ。子分どもも、お町に頼まれりゃア、ヘイ、ヘイって二つ返事で何でも言う事を聞いてるんさ。

最近、三下奴になった下植木村の浅次郎なんざ、お町お気に入りの使い走りよ。浅次郎の方も槍の稽古に励んで、命に代えてもアネサンは守りますって張り切ってるんさ。まったく、頼もしい奴だぜ。

まあ、こじんまりとしたうちだけどよ、たまに帰って来て、のんびりするには丁度いい塩梅ってもんだ。

おりん姉さんに仕込まれたお辰の壷振りは思った以上にうまく行ってるぜ。伊三郎んとこの賭場は毎日、閑古鳥が鳴いてるよ。

伊三郎の奴、俺たちの真似して、てめえの妾に壷を振らせたんだが、うまくは行かねえ。いくら器量よしでも、修行を積んでねえオナゴじゃ、賭場が締まらねえのよ。これじゃア、まともな勝負はできねえって、いい客にゃア逃げられるし、片肌脱いで片膝立てたオナゴを拝みに来る冷やかし客ばかりが集まって来るしで散々な目に会ったらしいぜ。

伊三郎の奴、どうしたらいいだんべえって頭を抱えて、子分どもに八つ当たりしてるようだ。いい気味ってもんさ。

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2006年7月 1日 (土)

弁天のおりん姉さんは粋な年増の別嬪さんよ

国定忠治の無頼日記36     文政13年(1830)10月~21歳

陽炎

円蔵さんのかみさんの弁天のおりんさんは想像していたよりもずっと別嬪だったぜ。こんな女渡世人がいたなんて、とても信じられねえ。円蔵さんもうまくやったもんだと感心したよ。

円蔵さんの考えで、顔を知られてねえおりんさんを島村の伊三郎んとこに送り込んで、敵の情報をつかもうって事に決まったんだ。おりんさんは子分になったお辰を連れて田部井村に隠れて、お辰に壷振りを仕込んだのさ。

おりんさんにみっちりと仕込まれたお辰は、10月の7日の市日に伊勢屋の賭場で初めて壷を振ったんだ。客たちは女の壷振りに驚いて、あっという間に噂は広まって行った。もう、溢れんばかりの客が次々にやって来て、いつもの倍以上の稼ぎになったんさ。うまく行ったとみんなで大喜びしたぜ。

それから10日後には国定村の赤城神社の秋祭りがあって、そこに出張って賭場を開いたんさ。そこは毎年、久宮一家が賭場を開帳してたんだけどよ、国定村でそんな真似は二度とさせねえ。奴らの殴り込みを覚悟してたんだが、奴らは何も言って来なかった。気負い込んでいたのに、肩透かしを食らわされて、まったく腹立たしかったぜ。

文蔵なんざ、イライラしながら、奴らが来ねえんなら、俺ア帰るぜって、お辰のいる百々村に帰っちまった。見ていておかしくなるほど、文蔵はお辰に首ったけなんさ。

でも、よく考えてみりゃア、久宮一家にとって、国定村の賭場なんざ、小遣い稼ぎみてえなもんだ。血を流してまで、守る程の賭場じゃなかったってえ事よ。まあ、お客さんたちが喜んでくれりゃア、それでいいんだけどよ。

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