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2006年5月12日 (金)

襲名披露は大成功さ

国定忠治の無頼日記32  文政13年(1830)8月吉日~21歳

緋牡丹博徒 二代目襲名

「何事も初めが肝心だぜ」って円蔵さんが言ったんだ。そして、吉日を選んで跡目相続の襲名披露が派手に行なわれたんだ。

俺のために錚々たる親分が集まってくれたんだぜ。

仲人(ちゅうにん)は前橋の福田屋栄次郎親分がやってくれたんさ。八寸村の七兵衛親分川田村の源蔵親分玉村宿の佐重郎親分伊勢崎の半兵衛親分大前田村の要吉親分太田宿の与左衛門親分大笹宿の寅五郎親分木崎宿の孝兵衛親分、それに、島村の伊三郎親分も顔を揃えたんだ。

伊三郎を呼ぶんは俺も文蔵兄貴も反対したんだけど、円蔵さんが、「そんなケツの穴の小せえようじゃア、一家を張ったって、すぐに潰れちまう。伊三郎なんか目じゃねえってくれえの太っ腹になれ」って言って、俺たちも納得したんさ。

大前田一家の要吉親分は目が不自由で、めくらの親分て呼ばれてるんだ。俺も噂は聞いていたけど会うのは初めてさ。さすが、栄五郎親分の実の兄貴だけあって、すげえ貫禄だア。ただ、そこにいるってえだけで、誰もが大親分て呼ばずにゃいられねえって雰囲気が漂っていたよ。

話は変わるけど、文蔵兄貴は俺の事を親分て呼ぶんだぜ。兄貴が親分て呼ぶんで、子分たちもみんな、親分て呼んでくれるよ。親分て呼ばれるのは嬉しいけどよお、なんか、照れ臭えや。

集まった親分衆はそれだけじゃねえんだぜ。武州からわざわざ、藤久保の重五郎親分高萩の万次郎兄貴も来てくれたんだ。残念ながら、栄五郎親分は名古屋の方に行っているらしくて来られなかった。

それと渡世は違うけど、香具師(やし)の萩原村の不流三左衛門親分館林の江戸屋兵右衛門親分も来てくれたんさ。

境宿の旅籠屋は各地から集まって来た親分衆で埋まって、町中をウロウロしていた伊三郎の子分どもは恐れをなして消えちまったよ。

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