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2006年4月24日 (月)

てえへんだア、親分が‥‥‥

国定忠治の無頼日記30   文政13年(1830)7月20日~21歳


代貸の新五郎の兄貴が殺されて、岩吉の野郎が逃げて、百々一家の子分の筆頭は文蔵兄貴になっちまった。

文蔵兄貴の下にがいて、保泉の久次郎茂呂の孫蔵山王道の民五郎八寸の才市富塚の角次郎、そして、三下奴の宇之吉清蔵だけになっちまったのよ。これじゃア、一つの賭場を開くのがやっとの人数だぜ。とても、殴り込みなんかできやしねえ。

まったく、落ち目になると賭場には客が来ねえし、雲助までもがどっかにずらかっちまったよ。

兄貴が殺されてから三日後だ。伊三郎の奴がでけえ面して来やがった。十手をかざして、新五郎の兄貴をやった奴の目串がついたと抜かしやる。用心棒の浪人者を連れていて、そいつが兄貴をやったに違えねえって思ったけどよ、情けねえ事に、今の俺たちゃ何もできねえ。俺は歯を食いしばりながら、伊三郎の首を後ろからたたっ斬ってやるべえかと思ったぜ。

伊三郎の奴は嘘八百を並べ立てて、帰って行きやがった。親分もよっぽど腹が立ったんだんべえ。塩を撒いとけって大声で怒鳴ったよ。その後がいけねえや。親分が急に倒れちまったんだ。

境宿から蘭方医の村上隋憲先生を呼んで来て診てもらったけど、半身不随になっちまった。しゃべる事もできねえんだ。

畜生め、こんな時、親分が倒れちまうなんて、俺たちもとうとう、お天道様に見放されちまったようだ。文蔵兄貴も気落ちして、百々一家はもう終わりだって、やけ酒をくらってらア。

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