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2006年4月18日 (火)

お町は村一番の器量よし

国定忠治の周りの人たち.1

忠治が惚れたお町は国定村の隣村の田部井(ためがい)村に生まれました。

忠治とは同い年です。

父親は尾内(オナイ)市太夫といいますが、お町が幼い頃に亡くなったようです。

庄八という兄がいて、博奕打ちになって、尾内の嘉藤太(かとうた)と呼ばれます。

お町が六歳の時、母親も亡くなり、隣に住む本家の尾内弥平次の養女になります。

弥平次は名主を務めていて、お町は名主の娘として育てられ、読み書き、そろばん、裁縫など、一通りの芸事を習います。

村一番の器量よしで、忠治だけでなく、若者たちの憧れの的でした。

16歳の時、伊与久(いよく)村の深町某に嫁ぎますが、二年後には別れて戻ってきます。

伊与久村の深町家というのは、学者の家系で、忠治の死後、忠治の悪口を残した深町北荘という人も出ています。

堅苦しい家柄に耐えられなくなって、離縁したのかもしれません。

田部井村に戻ってきたお町は忠治と再会して、忠治の妾(めかけ)になります。

本妻のお鶴は忠治の実家を守っていて、やくざ渡世に関係しなかったので、お町が子分たちからアネサンと呼ばれていました。

忠治との間に子供はなく、忠治が捕まった時も一緒にいました。

その時は41歳でしたが、相変わらずの美人で、10歳は若く見えたと伝えられています。

忠治の処刑後、その美貌ゆえに、新田郡田中村の田中秀之進の妾になります。

秀之進が尊王運動に身を投じて処刑されると、東小保方(ひがしおぼかた)村の高橋某の後妻に納まります。

高橋某の病死後、田部井村に戻って、裁縫の師匠として過ごし、忠治の死から20年後の明治三年、61歳で亡くなりました。

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