トップページ | 2006年3月 »

2006年2月25日 (土)

奴らがよ、貫禄上げたなアって言いやがったぜ

浮かれ鳥

国定忠治の無頼日記.13   文政10年(1827)秋~18歳

一年振りの国定村は随分と変わっていやがったぜ。

三室の勘助ってえ、俺たちの兄貴分がいたんだが、なんと、堅気になって代官所に勤めてるたア、おったまげたねえ。

俺が故郷(くに)を出た頃、兄貴は一家を張るって言ってたんだ。清五郎富五郎の奴らは兄貴の子分になったんだが、情けねえって盃を突っ返したってえじゃねえか。

俺が久宮(くぐう)一家の客人を殺した後、久宮一家の連中が田部井(ためがい)や国定にやって来て、俺を捜し回っていたらしい。勘助の兄貴は俺をかばうわけでもなく、俺なんか知らねえって、三室に帰っちまったんだそうだ。

今じゃア、久宮一家が国定までのさばって来て、でけえ面して賭場(とば)を開いているという。

清五と富五は俺が栄五郎親分の子分になって、一家を張るために戻って来たと勘違えしていやがった。

俺の姿をジロジロ見て、貫禄を上げたなアって言いやがった。まア俺もそれなりの修行をして来たからな、まだ貫禄があるたア思えねえが、嬉しかったよ。

そしてな、俺に久宮一家の野郎どもを国定と田部井から追い出してくれって、真面目な面して言いやがるんだ。千代松も、お町の兄貴の嘉藤太も俺の子分になるなんて言っていやがる。

まったく、どうなっちまったんでえ。

みんなから、そう頼りにされちゃア、いやとは言えねえやな。

俺はもうちっと待ってくれって言ったよ。栄五郎親分さんに言われたように、百々(どうどう)村の紋次親分とこで修行を積んでから一家を張るから、待ってろって言っちまったぜ。

俺ア二人に手を振って、真っすぐに百々村に向かったんさ

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年2月23日 (木)

俺ア思わず、抱きしめたのさ

お鶴

国定忠治の無頼日記.12   文政10年(1827)秋~18歳

やっと、うちに帰って来たんだけどよお、やっぱり、敷居が高えや。

俺アわざと何でもねえような振りをして、「腹、減ったぜ」と言いながら、お勝手に入って行ったのさ。

お袋お鶴が飯の支度をしていたよ。

俺の顔を見て、二人とも鳩が豆鉄砲くらったような面をしていたよ。

二人の顔を見たら、胸が熱くなって来てな、目が潤んできやがった。

「今、帰ったぜ」って俺は笑ってごまかしたんさ。

お袋の奴、俺の顔を見つめたまま涙を拭いて、「よう帰って来た」って何度も何度も言っていた。

「お父に知らせてやんべえ」って仏壇の方に向かった時、やけに小さくなっちまったなあって思ったぜ。

苦労をかけて、すまなかったって俺ア心の中で詫びたんさ。

お袋がいなくなったら、お鶴が、「何で、あんな事をしちゃったのよ」って泣き出しやがった。

お鶴も少しやつれたように見えたが、やっぱり、いい女だったよ。

俺ア思わず、お鶴を抱きしめたのさ。

一年振りのお鶴はやけに優しかったぜ。帰って来て、本当によかったって実感したねえ。

その夜、お鶴を抱きながら、もう二度とお鶴を離さねえって誓ったんさ。そして、お鶴のために、堅気に戻って、やり直してみようって俺ア考え直したぜ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月21日 (火)

村祭んとき、可愛い娘といい仲になったんさ

おマユ

国定忠治の無頼日記.11   文政10年(1827)秋~18歳

月日の経つのは早えもんだ。

桜の花も散って、暑い夏も過ぎ、いつの間にか、葉っぱが色づき始めて来ているぜ。

誰が見ても、俺アもう、いっちょめえの渡世人て感じさ。

万次郎の兄貴はまだ独り者なんだが、村の娘たちにゃア人気があるんだ。娘たちが、親分を見るとキャーキャー騒いでいるんさ。俺の事も噂になってるらしくて、俺も騒がれるんだぜ。

村祭んとき、俺もおマユってえ名の可愛い娘とちょくら、いい仲になったんさ。親が博奕打ちなんかと付き合うのを反対してるんで、内緒の仲なんだけどよ、可愛い娘よ。ちょっと、見てやってくんねえ。

故郷を出てから丁度、一年になる頃、高萩村に栄五郎親分がやって来たんだ。

いい知らせを持って来たんに違えねえたア思ったが、また、堅気に戻れって言われるかもしれねえとも思ったさ。でもよお、もう後戻りはできねえ。何と言われようとも、俺ははっきり、博奕打ちになるって言うつもりさ。

栄五郎親分に呼ばれて、「おめえ、本気なのかい」ってドスのきいた声で聞かれた時は、冷や汗が流れたけどよ、俺は目をそらさねえで、はっきりとうなづいたんさ。

怒鳴られるかと思ったけど、親分は苦笑しながら、「しょうがねえ野郎だ」っ言ったよ。

俺ア、駄目でもともだって思って、もう一度、親分に、子分にしてくだせえって頼んでみたんだ。

やっぱり、断られちまった。でもよお、親分の弟分の紋次親分が、境宿の隣の百々(どうどう)村で一家を張ってるから、そこで修行を積めって言ってくれたんさ。

それに、玉村の親分から知らせが届いて、もう故郷に帰っても大丈夫だって言ったんだよ。

嬉しかったねえ。ようやく、帰れるんだぜ。

栄五郎親分は紋次親分あての紹介状も書いてくれた。万次郎の弟分が三下奴になるわけにもいくめえからって、三下修行なしで子分になれるように書いてくれたんだ。

万次郎の兄貴に恥をかかせねえように、それに、栄五郎親分にも恥をかかさねえように、俺ア博奕渡世に命を懸けるぜ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月20日 (月)

驚くなよ。万次郎親分の弟分になったんだぜ

国定忠治の無頼日記.10   文政10年(1827)春~18歳

馬庭念流万次郎親分とこは、ほんとに居心地がいいぜ。

親分ちは広え敷地を持っていて、でっけえ母屋の裏にゃア、蔵がいくつも建っているんさ。

子分たちもみんな若えし、偉そうな面をした子分なんかいやしねえ。みんな、和気あいあいとしてるんさ。

俺のヤットウ(剣術)だって、捨てたもんじゃねえぜ。栄五郎親分に簡単にあしらわれてから、ちっとばかし、自信をなくしてたんだが、ここの子分衆たちにゃア、立派に通用すらアな。万次郎親分も思っていたよりも、俺が強えって喜んでくれたんさ。

驚くなよ。俺ア、万次郎親分と兄弟分の盃を交わしたんだぜ。

万次郎親分は重五郎親分の弟分だ。それでもって、重五郎親分は栄五郎親分の弟分だ。万次郎親分の弟分になった俺ア、栄五郎親分の弟分て事にならアな。もう三下なんかじゃねえってこった。

それによお、俺ア、栄五郎親分の子分にゃアなれなかったが、栄五郎親分の側にずっといた俺は、ひと様から見りゃア、子分のように見えたって万次郎親分は言ったよ。成程、そういうもんかって思ったねえ。

万次郎親分は、「俺は武州一の親分になってやるからよお、上州の事ア、おめえに任せたぜ」と俺に言うんだ。

弟分になったからにゃア、やらなきゃならねえ。故郷に帰ったら、立派な親分になってみせるぜ。

俺が習った念流ってえ剣術は、おめえさん方の時代にもちゃんと残ってるんだぜ。この写真は群馬県吉井町に代々伝わって来た馬庭念流の打ち合いさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月18日 (土)

高萩の万次郎親分は若えわりにゃア貫禄あったねえ

松田優作     最も危険な遊戯 

国定忠治の無頼日記.9   文政10年(1827)正月~18歳

年が明けて、十八になっちまったぜ。

十八になって三下たア、情ねえ。しかしよお、我慢しなきゃアならねえんだ。栄五郎親分の盃を貰うまでは、故郷(くに)にゃア帰れねえ。

正月は忙しかったぜ。あちこちから親分衆や旦那衆が挨拶にやって来て、まったく、てんてこ舞いよ。

さすが、栄五郎親分は凄えねえ。みんな、親分にペコペコ頭を下げていらアな。親分は旅の途中だから、大げさに騒ぐなって言うが、みんなが黙っちゃアいねえ。親分さんの噂を聞いて、遠くの方からも続々と挨拶に来らア。そん中に高萩村から来た万次郎って親分がいたんだ。

親分と言っても、まだ若え。噂じゃア、重五郎親分の弟分で、二十三になったばかりだという。背がやたら高くて、若えわりにゃア貫禄があったねえ。俺もあんな親分になりてえって、陰ながら見てたんさ。

その万次郎親分を木賃宿に案内した後、俺ア、万次郎親分に呼ばれたんさ。

お園さんは、「なにか粗相でもしたんかい」って心配顔で聞いて来た。万次郎親分を怒らせると手が付けられないから、何を言われても謝るんだよって言うんだ。

俺ア覚悟を決めて、恐る恐る部屋を訪ねたんさ。

万次郎親分はやけに長え煙管をくわえながら、機嫌よく迎えてくれた。俺はホッとしたぜ。

「おめえの噂は聞いてるよ」って万次郎親分は言った。そして、いつまでも三下なんかやってるガラじゃアあるめえ、俺んとこに来ねえかって言うんだ。しかも、客分として迎えるって言うんだ。

俺ア耳を疑ったぜ。からかってるのかと思ったが、そうじゃなかった。高萩村に剣術道場がねえから、若い者に剣術を教えてやってくれって言うんだ。

こん時ほど、剣術をやっていてよかったって思ったことアねえ。俺ア二つ返事で引き受けたぜ。

万次郎親分てなア、どんな親分さんかって言うと、松田優作さんみてえな感じさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月17日 (金)

三下修行は厳しいが、俺ア負けねえぜ

お鶴

国定忠治の無頼日記.8   文政9年冬~17歳

三下修行は思っていたよりも厳しいぜ。

薄暗え狭え部屋に押し込められて、火もねえ寒い中、五人の三下と一緒に雑魚寝さ。

朝はまだ暗えうちから叩き起こされ、子分たちに怒鳴られながら、夜遅くまでこき使われるんだ。

俺ア知らなかったが、三下奴ってなア、博奕打ちの世界じゃ人間として扱われねえんだ。

飯だけは食わせて貰えるが、銭は一銭も貰えねえ。

銭がねえから遊びもできねえし、酒も飲めねえ。

もっとも、次から次へと、あれやれ、これやれって子分どもがうるせえから、そんな暇なんかねえけどな。

まったく、寝る事だけだぜ、楽しみっていやア。

畜生、お鶴の奴が懐かしいぜ。早く会いてえよ。

栄五郎親分の話じゃ、来年の夏頃にゃア国定村に帰っても大丈夫だんべっ言ってたけど、来年の夏といったら、まだまだ先の話だ。

こんな事なら三下になんかならねえで、栄五郎親分の客分でいた方がずっと、ずっとよかったさ。

でもよお、子分になるために必死に頑張っている三下どもを見てるとな、俺も奴らにゃ負けるわけにゃアいかねえって思うんさ。

こんな事でくじけちまったら、この世界じゃ生きちゃア行けねえからな。

栄五郎親分から盃を貰うまでは、歯を食いしばって、じっと我慢するしかねえのよ。

それにしても、万吉って野郎は頭に来るぜ。アネさんの弟だからって、でけえ面しやがって。

今にみていやがれ。必ず、土下座させてやるからな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年2月14日 (火)

盃を貰おうと思ったら、断られちまったよ

高倉健~「幸福の黄色いハンカチ」     幸福の黄色いハンカチ

国定忠治の無頼日記.7   文政9年冬~17歳

俺ア覚悟を決めて栄五郎親分に、子分にしてくれって頼んだぜ。

盃を貰えると思ったのによお、断られちまったよ。

俺を助けるために、田部井村の名主と本間道場の先生と玉村の親分が苦労してくれて、何とか、捕まらずにすむらしいんだ。

おふくろもかなりの銭を使ったらしい。

みんなが俺のために苦労してんのは、俺を堅気に戻すためだって言うんだ。

みんなのためにも、もう一度やりなおして、まっとうな生き方をしろ。博奕打ちなんかになろうなんて思うなよって言われちまったよ。

でもよお、俺ア、栄五郎親分の任侠気(おとこぎ)に惚れちまったのよ。

栄五郎親分は30半ばの男盛りで、おめえさん方の時代で言やア、高倉健さんてことだんべえな。

俺もあんな親分になるって決めたのさ。

俺は諦めねえよ。

俺ア重五郎親分に子分にしてくれって頼んだぜ。

重五郎親分は子分にしてやってもいいが、栄五郎親分の許しがなきゃダメだって言うんだ。

俺アもう勝手に修行する事に決めて、三下奴(さんしたやっこ)たちと一緒に働く事にしたんさ。

三下奴たちは驚いていたぜ。俺の事を勝手に、大前田一家の身内だと勘違えしていやがった。

栄五郎親分に怒られると思ったが、親分は何も言わなかった。しょうがねえ野郎だと思ってるに違えねえ。

しばらくして、重五郎親分に呼ばれて、俺の事を預かる事に決まったって言われた。

子分になれるのかと思ったら、子分になるにゃア、三下奴を一年から二年はしなきゃアならねえって言われたよ。しかも、一番下っ端の三下奴だとよ。それでもいいなら修行させてやるって言うんだ。

俺ア考えたけど、しょうがねえって思ったんさ。下っ端からのし上がっていくしかねえってな。

俺ア三下奴になる事に決めたぜ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月13日 (月)

大前田の栄五郎親分は貫禄のある親分さんだぜ

お園さん

国定忠治の無頼日記.6   文政9年冬~17歳

流れ流れて、俺ア今、武州の藤久保村にいるのよ。

玉村の佐重郎親分が、ほとぼりが冷めるまで、上州から離れていた方がいいって言って、大前田の栄五郎親分あての紹介状を書いてくれたんさ。

栄五郎親分は佐渡ケ島に送られたんだけどよお、なんと、島抜けして、藤久保の獅子ケ嶽の重五郎親分とこに隠れていたんだぜ。

栄五郎親分の噂は色々と聞いちゃアいたが、さすがに、貫禄のある親分さんよ。

栄五郎親分は八年前に、久宮(くぐう)の親分を殺して、長旅に出てたんだけどよ、江戸にいたところを無宿狩りに捕まって、佐渡に送られちまったんだ。

あの島を抜けるんは無理だって言われてるんだが、親分は見事に島抜けをやっちまった。

大したお人だよ。

俺ア、栄五郎親分の連れって形で、重五郎親分がやってる木賃宿に滞在する事になったんさ。

重五郎親分のおかみさんはお園さんていって、やさしい顔をしていながら、子分たちを顎で使っているんさ。気の強え女だけど、ほっそりとした、とびきりの美人よ。

俺ア、何もしねえでいるわけにもいかねえから、お園さんの手伝えをしていたんさ。

ある日、お園さんから、おまえさんも栄五郎親分の盃が欲しくてやって来たのかいって聞かれたんだ。

俺アそんな事ア思ってもいなかった。

ほとぼりが冷めたら、上州に戻って、剣術道場をやるべえって思ってたんだ。

でもよお、お園さんが言うには、たとえ、相手が無宿者でも人を殺しちまったら、もう堅気にゃ戻れねえって言うんだ。

世間はそんなに甘かアないよ、真面目に生きようとしても、凶状持ちってえのは消えないよ、人様に後ろ指さされながら、堅気でいるより、博奕打ちの渡世で生きた方がいいんじゃないのかって言うんだ。

栄五郎親分から盃を貰えば一家を張れるとも言ったぜ。

よく考えてみたら、お園さんの言う通りのような気がして来たんさ。

今頃、国定村や田部井村じゃア、俺が人を殺したって事ア、誰もが知ってるに違えねえ。

俺ア、もう一度、これからの事を考え直さなきゃならねえって思い始めたぜ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年2月12日 (日)

綺麗どころが3人も出てきたんだぜ

綺麗どころ

国定忠治の無頼日記.5   文政9年(1826)秋~17歳

本間道場の先生の紹介で、俺ア今、玉村宿の佐重郎親分とこにいるんさ。

佐重郎親分の名前は聞いていたが、会うのは初めてさ。でもよお、親分は俺の親父の事をよく知っていて、親父に借りがあったんだが返せなかったって言っていた。

無宿者なんか殺したって、何とでもならア。俺に任せときねえと力強く言ってくれたぜ。頼もしかったねえ。

佐重郎親分は角万(かくばん)屋ってえ旅籠屋をやっていて、十手も持っていた。八州様の道案内を務めてるんだそうだ。

博奕打ちの親分が、博奕打ちを取り締まる八州様の手先をしてるなんて、俺にゃアよくわかんねえが、佐重郎親分は信頼できる親分だと俺ア思ったぜ。十手を見せられた時は、俺を捕めえるつもりかと疑ったが、そんな事アなく、俺は大歓迎された。

夕飯の時なんざ、綺麗どころが3人も出てきて、俺の相手をしてくれたんだぜ。親分とこには飯盛女ってえのが何人もいて、そん中でも上等なのが3人出てきたらしい。

目移りするほど、3人ともいい女よ。

ここに来るまでは、捕まったらどうすんべえ、江戸に送られて首をはねらちまうかもしんねえってビクビクしてたんだがよお、そんな事アすっかり忘れて、俺ア殿様にでもなったような気分で騒いだんさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月10日 (金)

長脇差は血で真っ赤に染まっていやがった

国定忠治の無頼日記.4   文政9年(1826)秋~17歳

畜生、やっちまったぜ。

お鶴の奴と喧嘩して、ムシャクシャしながら、うちを出たんだ。

自然と足は隣村の嘉藤太んちに向かってたぜ。奴にゃア、会いたかねえが、久し振りに博奕を打って気晴らししようって思ったんだ。

意気込んで行ったんだが、賭場が開かれてる様子はねえ。やけに静かだったぜ。十歳位のガキが留守番していて、嘉藤太は草津の湯に遊びに行ったと抜かしやがった。

まったく、いい気なもんだぜ。

仕方がねえからよ、又八んちに行って、酒でも食らったのよ。

酒飲みゃ、出て来るのはお鶴に対する愚痴だア。又八相手にお鶴の悪口言ってたら、表がやけに騒がしくなって来やがった。

又八を見にやったら、名主んちに3人のならず者が押し入って、佐与松の野郎が斬られたってえじゃねえか。

俺ア、カアッとなってな、又八から長脇差(ながどす)を借りるとすっ飛んで行ったのよ。

名主んちの前は野次馬がいっぺえいやがった。又八が見物人を押し分けて、俺は庭に入った。

血の跡があったが、佐与松の姿はなかった。

縁側に遊び人風の男が3人いて、名主が頭を下げていやがった。

俺は構わず、奴らに近づいて行ったんだ。

こっちから声を掛けたのか、向こうから掛けて来たのか覚えちゃいねえ。

相手の長脇差が頭上できらめいて、斬られると感じ、必死になって斬りかかって行ったような気がする。

グサッという鈍い音がして、奇妙なうめき声がして、あったけえもんが顔に掛かって来た。まるで、「椿三十郎」みてえに、血が吹き出しやがった。

「やめろ!」って誰かが叫んでいて、その声で我に返ったら、手に持った長脇差は血で真っ赤に染まってたんさ。

なぜか、本間道場の師範代が側にいて、いつの間に逃げたのか、血を出して倒れている奴の仲間はいなかった。

倒れている野郎は白目を剥いて死んでいやがったよ。

大変な事をしちまったって思ったが、もう後戻りはできねえ。

椿三十郎

俺ア、人を殺しちまったんだ。

見物人はいっぺえいるし、逃げる事もできねえ。

まったく、どうしたらいいのかわからなかったぜ。

師範代がとりあえず、本間道場に行って隠れてろって言うんで、言われる通りにしたよ。

畜生、どうして、こんなふうになっちまったんでえ。

椿三十郎

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 9日 (木)

うちの嫁っこ、結構、いい体してるんだぜ

お鶴

国定忠治の無頼日記.3   文政9年(1826)春~17歳

お鶴の奴、最近、やたらと姉さん風を吹かしやがる。

嫁に来て半年が経って、おふくろとうまくやってるのはいいがよお、朝から晩まで働き詰めで、俺をのけ者にしやがる。

俺の顔を見りゃア、まだ免許は貰えないの、早く取ってよと言いやがる。

そう簡単に、剣術の免許なんか取れるかってんだ。

俺だって、最近は博奕(ばくち)もしねえで、剣術に打ち込んでるんだ。早く、道場を開きてえって思ってな。

一緒に道場に通ってる千代松なんざ、俺と会ってもそっぽを向いて、俺が嫁を貰ったら腑抜けになっちまったって陰口をたたいていやがる。奴は今、八寸(はちす)村の七兵衛親分の所に出入りしてるらしい。

俺だって、たまにゃア、博奕ぐれえ打ちてえぜ。それをじっと我慢してるってえのによ、あの言い草はねえだんべ。

どっかに遊びに行こうぜって誘っても、お鶴の奴ア、忙しくて、そんな暇なんてないわよ、って言いやがる。

まったく、面白くもねえ。

でもよお、あっちの方はうまく行ってるんだぜ。お鶴の奴、着痩せして細く見えるんだが、結構、いい体してるんだぜ。

人様に見せるようなもんじゃねえが、ちょっとだけ、拝ませてやらア。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 8日 (水)

今井小町って呼ばれていたベッピンさんよ

お鶴

国定忠治の無頼日記.2   文政8年(1825)秋~16歳

お町の事ア、男らしく、きっぱりと諦めたぜ。

塾の先生んとこに嫁に行ったお町を見返してやるわけでもねえが、俺ア剣術道場の道場主になってやろうと思ってな、免許を取るために本間道場に真面目に通って、剣術修行に打ち込んでいたのさ。

それでよお、秋になって、俺ア嫁を貰ったぜ。

まだ、祝言挙げるなんざ、早えたア思ったが、親父が6年前に亡くなっちまって、おふくろが一人で頑張っていたからな、俺が嫁を貰って、働き手を増やさなくちゃならなかったんさ。

俺んちは国定村でも裕福な方でな、小作人を何人も使って、お蚕(かいこ)さんをやっているんさ。

何でも、昔アお侍だったらしい。詳しい事ア知らねえが、新田義貞の家来たちが、この辺りに土着したんだそうだ。

そんな事アどうでもいいんだが、俺が遊んでばかりいるんで、おふくろが一人で小作人たちの指図をしてるんさ。

嫁が来りゃア、おふくろも、ちったア楽になるだんべと俺も嫁っこを貰う事に決めたのよ。

今井村から嫁いで来た嫁は、お鶴といってな、俺より二つも年上なんさ。

お町のような華やかさってもんはねえが、おしとやかなお嬢さんて感じで、今井村じゃア、小町って呼ばれていた程のベッピンよ。

あっしも夢中になっちまったぜ。お町の事なんざ、すっかり、忘れて、毎晩、お楽しみってとこよ。

まあ、絵に描いたら、こんな感じだんべ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 7日 (火)

あっしが惚れた、いい女なんでさア

お町

国定忠治の無頼日記.1   文政8年(1825)春~16歳

あっしの名めえは長岡忠次郎と申しやす。

人様は国定村のワルガキ忠治と呼んでおりやす。

日記なんざ、書くガラじゃねえが、長え月日が経つうちにゃア、あっしの事も忘れられちまうんで、ちょっくら、やってみまさア。

まず、最初に書く事といやア、お町の事でさア。

お町というのは隣村の名主んちの娘で、あっしが惚れた、まったくもって、いい女なんでさア。

そのお町の奴が、あっしの知らねえ間に話を決めて、嫁に行きやがった。

相手は伊与久(いよく)村の塾の先生だってよ。

まったく、つまらねえ奴ん所に行きやがったぜ。

こんな事になるんなら、去年の秋祭りん時、やっちまえばよかったよ。

あいつの兄貴に嘉藤太(かとうた)って野郎がいるんだが、あの野郎が、俺の悪口をお町に言いやがって、お町もそいつを信じて、俺に会おうとしなくなっちまった。

畜生め、嘘八百を並べ立てて、大げさに言ったに違えねえぜ。

あの野郎がいなかったら、うまく行ってたのによお。

花嫁行列に踏み込んで、お町をかっさらってやろうと思ったが、またもや、嘉藤太の野郎のお陰で、いい恥をかいちまったぜ。

俺の嫁にするつもりだったのによお、まったく、勿体ねえ事をしたもんだ。

あんないい女は滅多にいねえよ。

おめえさん方にも見せてやりてえが、残念ながら、写真はねえ。

180年後のおめえさんたちにわかるように絵に描いたら、こんな感じだんべ。

まあ、じっくりと見てやってくんねえ。

 侠客 国定忠次一代記

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トップページ | 2006年3月 »